北海道新聞、朝崎郁恵原稿

 御年80歳という奄美シマ唄の国宝級唄者、朝崎郁恵さん。朝崎さんの名前を知らなくとも、知らず知らずのうちに彼女の歌声に触れ、感動している人は多いに違いない。実は、今NHK BS プレミアムで放映中の『新日本風土記』のテーマ曲「あはがり」を歌って、日本国内だけでなく海外でも大反響を呼んでいるからだ。たぶん、知らずに聴いていると日本語には聴こえないから、どこかの国の民族音楽なのだろうと思っている方が多いかも知れないが、これは朝崎さん自らが奄美シマグチで書いた詩で、元はと言えば1000年以上前の万葉言葉が訛ったものだ。「あはがり」とは、今や本土では死語になってしまっているが、“暗がり”の反対語である“明がり”のこと。


 その奄美のシマ唄は元ちとせや、中孝介の登場などによって今や陽の当たる所へ出てきた感がする。が、この2人が共に敬愛するのが朝崎さんだ。
 三味線との掛け合いで成り立っていた奄美シマ唄に革命的な新風を吹き込んだのは、朝崎郁恵さんが97年にインディから発表した高橋全のピアノとのコラボレーションによるシマ唄アルバム『海美』だった。たった3曲入りのミニ・アルバムではあったが、それだけで充分過ぎるくらいの波紋を呼び起こした。多くの人を魅了し、細野晴臣が、ゴンチチが、友部正人が、UAが、そして中山ラビが次々と彼女の歌に魅入られ、その虜になった。


 その朝崎さんの唄は奄美シマ唄の中でも別格だ。何回聴いても、聴く度に総毛立つほどの感動を覚える。何よりも声そのものにディープな哀感が宿っていて、和のデルタ・ブルースがあるとすれば、それは彼女の歌に違いないとさえ思える。固有のグイン(コブシ)と裏声を駆使した彼女ならではの“神を降ろす声”は、ノロ(祝女)さんの祈りにも似た崇高さと敬虔さがあり、その声浴に浸っていると自らがまるで洗い清められたような気分になるから不思議だ。


 彼女のシマ唄が特別な理由は、それだけではない。おばあちゃんの古い唄を聞いて育った朝崎郁恵さんの歌は、遠く江戸時代~明治時代の記憶が刷り込まれたままだ。その後、彼女が結婚して若くして島を離れた(1960年)ため、結果的に彼女の歌は近代化の波にさらされることなく、タイム・カプセルのように島を離れた時点で時間が止まって、原型のまま保存されている。例えば、ブラジルに移住した日系人の間に日本の古い習慣が残されていたり、元時代に侵攻した東ヨーロッパに昔ながらのモンゴル村が飛び地のように残っていたり、或いはかつてフランス領だったルイジアナに今は使われなくなった18世紀のフランス語が残っていたりするのに似ている。


 誰にも真似が出来ないと言われる彼女の細かい、音譜に表わすことが不可能な固有の節回し、抑揚の背景にはそんな経緯がある。が、一方で彼女が離れた地元、奄美群島のシマ唄は時代と共にどんどん簡略化されつつある。誰もが歌い易いようにというのは時代の流れなのかも知れないが、それは裏返せば1000年以上前から続いた奄美シマ唄の伝統の崩壊ということでもある。それについて、朝崎さん自身もこう語る。“私があのままずっと奄美に住んでいたら、私の歌もきっと今とは変わっていたと思います”


 だからこそ、僕には朝崎さんの歌、いや存在そのものが殊更貴重に思えてならない。特に「おぼくり~ええうみ」のように古いシマ唄など彼女しか知らないものも多く、当然のことながら彼女以外に歌える唄者がいない唄も数多い。つまりは文字通り生きた文化遺産なのだと思う。
 本土からはとっくの昔に廃れ、失われてしまった古い万葉言葉をルーツとする奄美言葉。その独特に訛った奄美のシマグチ(方言)の響きが、いにしえの日本の原風景の記憶を今(現代)に甦えらせる。